津留晃一さん「多くの人が、この本で変わった。」を読んだ感想と概要 2

自己弁護をしたり、人を批判したり、自分を責めたり、落ち込んでいる自分に気づいて下さい。そのようなつまらないことに、今という大切な一瞬を浪費せず、自分の喜びを表現して下さい。その喜びの瞬間が、また次の喜びの瞬間を生み出し、こうして永遠に喜びが途切れることなく引き続くことになります。

あなたが持っている道徳的価値観により、良いことと良くないことを区別しています。良くないことが、人を裁いたり、自分をとがめることになります。あなたには創造する力がありますので、そのような必要はなく、どんなことも体験して学ぶだけでいいです。つまり自分の目の前に起きてくる全ての出来事は、自分の考え方に気づき、意識の変容を遂げられるようにと起こっています。

あなたをこの物理次元に留まらせているのは、「こうしなければならない、あれをしなければ」という考え方です。それを手放すことで、肉体はこの三次元にありながら、宇宙と一つになった新しい生活が始まります。まさに統合です。あなたは、何不自由ない宇宙の無限の領域から、わざわざこの不自由な世界に降りてきて、「思い通りにならない、限界がある」とはどんな感覚なのか、それを確かめる旅に出たのです。神にはできないあらゆる体験をするために、肉体を持ちました。この世には実は良いこと、悪いことはなく、右の道を選べば右の道があり、左も同じです。右の道を体験し尽くした人は、その体験による学びが終わり、今度は左の体験を望むようになってきます。あなたは全ての体験をし尽くすために、今ここにいます。その体験には、例えば人殺しをした後の強烈な後悔の念を体験してみることも含まれています。また、病気で困っている人がいるとすると、それをずっと上から眺めてみると、病気のフリをして何かを気づかせようとしている人と、その人を見て混乱するという体験を学んでいるあなたがいるだけに見えます。

人から馬鹿にされたように感じたり、否定されたような感じを受けてしまうのは、実はその人自身の中に「自分の欠点を直そう」という思いがあって、それが反映しているからです。そういう人は、相手が、単に自分の意見を主張しただけでも、あなたは否定されたように感じてしまうのです。相手には、あなたを否定する意思が全くなくてもです。あなたを否定できるのは、あなただけです。人に対して意地悪な想いが湧いてきたのは、決まって自分が傷ついたときや、イライラしていたときだったはずです。気分の良いときは、だれでも人に優しくなるものです。自分の価値観がニュートラルな状態になると、比較するための尺度がなくなります。この時に、人は初めて判断しない人生を行きられるようになります。判断しなくなったあなたの心は、揺れません。こうして不動心を獲得します。永遠に傷つかない人だけが、永遠に人に優しくできます。それが無条件の愛の体現者です。永遠に傷つかなくなったとき、永遠に被害に遭わなくなったとき、それはすなわち、あなたの世界から加害者が完全に消えた瞬間でもあります。

人は特定の価値観を握ります。それを受け入れると、その考えに基づいた体験が始まります。その中で良い体験による喜び(満たされた想い)と、悪い体験による苦しみ(満たされなかった想い)の両方を学びます。この両極を体験し尽くすと、その学びが終わるわけです。握って手放す、握って手放す、この永遠の繰り返しが人世です。手放さないと次のものが握れないです。これは宇宙の基本法則です。

あなたは、存在していることに価値があります。あなたひとりがもし欠けたとしたら、この宇宙はその瞬間に消滅することになります。つまりあなたの存在が、この宇宙を支えています。たとえ寝たきりの障害者であったとしても、あなたはかけがえのないひとりです。

あなたが相手の言うことを信用しないのに、相手があなたの言うことを信用するはずもありません。疑う人は、人からも疑われます。自分が「疑っていい」と思っている人は、宇宙からも「疑っていいよ」というメッセージを引き寄せます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA