山田 征さんの新刊「私は 愛する」を読んだ感想と概要

山田 征さんはルシエルと呼ばれる一つの神、創造主を中心に、1988年からチャネリングを行い、60冊近いノートにその記録を残し、その内の15冊に書かれた内容をまとめ8冊のシリーズ本を既に出版しています。本書(株式会社 ナチュラルスピリット)は残りのノートを抜粋し日記風にしたもので、シリーズとして9冊目に相当します。

80歳を超えた現在、作家活動に留まらず、自然エネルギー等の講演会を開催したりと精力的に活動をされています。

創造の動機は愛であり、それをもとに宇宙や諸々なものが創られました。ですから万物の核には何一つ余すことなく愛という火種子、すなわち意識が宿っています。しかしながら今さまざまなものによって覆い隠され、見えなくなってしまっています。

私たちは日々の生活の中ではあまり意識することなく生きているのでしょうけど、今日の生命というものは必ずしも明日を保証してはいないのです。今日は今日、明日は明日の生命、しかも今という一瞬の生命でしかないのです。ではなぜ人は、まるで自分の生命が永遠に続くかのように錯覚をして生きていくことができるのでしょうか。それは意識のとても深いところで、魂の持つ普遍性というものを知っているからです。私たちの魂はなぜこれほどまでに度重なる人としての人生劇を、飽くことなく繰り返し続けるのでしょうか。実はそのこと事態に全ての答えがあります。例えば残虐極まりない殺戮劇と思われる行為の中にも、それに相応しい理由や答えを見出していくことができるのです。

超電導という現象があります。電気抵抗が極端に小さくなると発熱が抑えられ、電力をほぼ100%無駄なく活かすことができる技術です。このようなフリーエネルギーが今後の主流になり、経済や社会のあり方に新たな潮流が生まれ、科学の世界においてもこれまでとは価値観が大きく変化していきます。私たちの肉体は気の巡りが悪く、大きな抵抗体であるため、抵抗がなく波動そのものである非物質の存在の気配を感じることができずにいるのです。しかし私たちの体は、いずれ生命エネルギーにより異なった力と体の機能を持って生まれ変わり、とても軽くなり全てのものを抵抗なく受け止め、活かしていくことができるようになります。

キリスト教はイエスが当時説いた教えから遠くかけ離れてしまいました。聖職者や信者は旧約聖書や新約聖書の中の数々の教えやできごとなどに強く縛られながら、イエスを神のひとり子として信じて止みませんでした。人間の中には決して拭い去ることのできない原罪がある、などといった教義を声をひそめることもなく話すことは、まことに恥じる行為と言わざるを得ません。いま多くの人の思考や視野が遥かに高く、広く解き放たれていることに、そろそろ気づく必要があります。聖書には、イエスが人々にとても気安く親しく語りかけてきた歴史についての記述が、寸分たりとも入り込む余地などありません。

山田さんは所要があって長野県に住む知人宅を訪れた時に、一人の婦人の相談に乗りました。娘さんのエリ子ちゃんの人格がすっかり変わってしまい、自分のことを私ではなく僕と言い出して、「僕は金星から来たキンちゃんだよ」と名乗ったそうです。そして彼女に対して「オバサン」と呼びました。それで「うちのエリ子はどうしたの?」と聞くと、「僕の代わりに金星のお家にいるよ。僕たち入れ替わったんだよ」と答えました。娘さんは言葉遣いや仕草だけでなく、食べ物や服の好みもすっかり変わってしまいました。翌日、山田さんはキンちゃんと会ってあいさつしました。だんだんと打ち解けると、「金星ってどんなところ?」、「金星のお父さんやお母さんはどんな人?」といった話をしたそうです。それから少し経ったある日、彼は「僕はそろそろ金星に帰ることにしたよ。だからエリ子ちゃんは地球に帰ってくるから…」と言い出しました。そして間もなく彼は、それまで母親が全く知らなかった女の子っぽいエリ子ちゃんに変身してしまいました。

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